先週は長岡で報告会だった。ブルジョワジーな団体の皆様と異なり貧乏な私は、Y嬢とN嬢と共に鈍行列車で6時間かけて東京に戻る。
ずっとN嬢と会話してた気がする。
「夏会議でイスラエル人・パレスチナ人と、ほとんど個人的な関係は築けなかった。」
その一言が重く響いた。
夏会議の時、イスラエル人とパレスチナ人は事務的な話をまともにできるのが、私とN嬢だけだったと認識していた。予定などを決めるミーティングでは、私とN嬢さえいればよいと言われた。現にそうなってしまうこともあった。
だから時にイスラエル人・パレスチナ人の憎まれ役となり、激しく言い合ったりもした。揉め事があれば必ず呼ばれ、イスラエル人・パレスチナ人と楽しく笑い合って過す時間は相対的に少なかった。日常の業務で疲れ果ててた。
「皆、今イス・パレ人とメッセしたり、メールしたりしてるんですよ。私は何もない。」
この子にはあまり楽しい思い出を残せなかったのかなと思った。いや、きっと楽しかったのだとは思うけど、同時に虚しさも漂っているのだろう。
私は二年目だったし「代表」だが、このとき彼女はまだ団体に入って2ヶ月だった。
配慮が足りなかった。