朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

最近、高校時代の友人と連絡をとることが妙に多かった。そのたびに多くの人から過去との比較をされる。「変わったね」と。
 
国際協力やら学問やらに夢中になっている自分を発見するたびに、その理由を問いただす。そこから見えてくるのも自分の過去。
 
あの頃を思い出すと、自分の居場所が見つからない虚無感、誰からも愛されていない必要とされてないという不安、様々なものが未だにありありと蘇ってくるのが不思議だ。高校を卒業してから早三年半、ずっと封印していたものが少しずつまた目の前に迫ってくるのを感じる。
 
夏会議の最中、あるメンバーから言われた言葉があった。
「安田さんってダンゴ虫みたい」
的確な表現だと思った。僕は人を受け入れることが未だにできない。そして自分を曝け出すことに恐怖を抱いている。虚栄や見栄は自信の無さの裏返しであることが、とっくにバレていた。
 
先週、メンバーの某H嬢の家で飲み会があった。酒乱と名高いその某H嬢が酔って絡んできたとき、僕に言った。「夏会議あたりから、自分を曝け出せるようになったよね。それでいいんだよ。皆お前のこと好きなんだから」
救われた気がした。
 
最近よく一緒に飲む元外務省の専門調査員の方からの指摘。「お前のバイタリティーとか爆発力は過去からきてるんだろ。「怒り」をもっとコントロールした方がいい。」
 
昨日なんとなくテレビを見ていたら、暴走族に殺された疑惑のある少女の話がやっていた。ふと5年前を思い出した。僕もカンパやら色々な問題を巡って、狙われていたときが一年間ぐらいあった。家や学校を囲まれたときもあったし、集団でリンチを受けたこともあった。そのときの、荒廃しきった自分の姿がふっと頭によぎった。
 
どこにも居場所がなくて誰からも必要とされている気がしなくて、家を飛び出した12歳のとき。勉強だけはできたから特待生として私立中学の寮に入った。そこでも自分の居場所はなくて結局やめ、義理の母や異母弟たちと住んだのが高校時代。どこにも居場所がなくて、毎晩街を徘徊していた。勉強なんて何もできなかったし、将来は真っ暗だった。暗いトンネルの先にも闇しか見えてなかった。
 
大学受験をすることで、つまり何か目標に向かって努力をすることで変わろうと思ったのが高三のころ。「形だけでも」と思い中学から吸ってたタバコもやめた。そして二年間を経て大学に入学し、今まで過去を全て捨て去ったつもりになっていた。
 
でも過去と今は確実に繋がっていて、それが未だに自分を支配していることに、前半に書いた様々な要因により気づいた。
 
だから今の自分の気持ちを整理するために、少しずつブログの中で文章化していきたいと思う。

2 Comments

  1. Mariko
    2005年10月4日

    なんか読んで感動しました。へ○れ卒業までもう少しですね☆(いつも毒舌ですんません★)

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  2. Unknown
    2005年10月6日

    がんばってください。あなたのことを応援しているヒトは決して少なくないと思いますので。

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