先週、慶応SFC(スーパーファミコン)の文化祭にて当団体がイベントを行った。ドキュメンタリーのビデオ上映やら、いくつかの展示を行った。 SFCのある藤沢は、私が中学三年~大学に入るまでいた街。良いことも悪いことも、全てが思い出される。 SFCは湘南台駅からバスで15分ほどのところにあり、見覚えのある風景が通り過ぎる。 大学の近くに高校時代の同級生が住んでいた。彼とはよくこの湘南台でナンパした。 大学向かうバスはあるカラオケ屋の近くを通った。そこが彼とナンパをして最も成功したスポットだった。 思い出すのは16歳の夏。深夜3時半。私はこのカラオケ屋にいた。 彼(...
...ミーティング
都電荒川線の終着駅、早稲田に到着しミーティング場所の新学生会館に向かう。風邪もほぼ治った。 ミーティングにラスト1時間ほど出席。当初あまり口出しをする気もなかった。私は報告会と文化祭というタスクさえやれば、引退という楽園が待っている。 しかし、今日もキレてしまった。 会員制をとるにあたり総務局をつくろうとのことで、一年生の間で総務担当者を決めたらしい。 その結果、一年生で財務を担当してる某氏が総務をやるということに。 財務担当といっても、最近サポートに入ってくれているY氏にまかせっきりだ。それに対して反省やら感謝も示さない時点で「ありえない」と思っていたのだが、「財務をやめる」とい...
...路面電車
土曜日は映画二本見て、本を三冊読んだ。書類作りや渉外、学生団体特有の意味のない長ミーティングに時間を浪費していたここ半年間で、最も充実した日だったといえる。特に森達也にはまった日だった。オウムを扱った映画、「A2」は面白かった。 おかげで寝たのは朝8時だった。12時頃起きたが風邪で体がおかしく、ミーティングをサボって寝ることにした。出ない退職金を前借りしたと考えればよい。 16時頃再び起床。ミーティングに行こうか迷う。私には風邪という正当な理由がある。 そこで別の用事を思い出す。近所を走る路面電車に乗るということだった。 荒川区に住んではや一年半。にもかかわらず、一度も徒歩10...
...「自分」とは何なのか
「自己」というものほどわからない存在はなく、だからこそ社会学の対象となり続けたのであるし、80年代後半からは心理学の大きな対象ともなった。 そんなことを考えてる今日この頃(ブログを読めばおわかりのように・・・)であるが、そのテーマが今日の社会学の授業にも出てきた。 社会学者のルーマンは、「自分とは何であるか」という問いは近代社会特有の問題だと述べた。前近代社会では身分制度の中で、「自分が何者であるか」などという問いは生まれなかったのだ。 社会学者のギデンズは「自分とは何なのか」という問いは、何度も繰り返される答えのない問いだ(再帰性)と述べた。これは「自分とは何なのか」という問いに...
...東南アジアへ
私の通う大学は、二週間ほど秋休みなるものがある。金はないが時間はあるという最悪の過ごし方を避けるため、海外に行く航空券を探していた。 当初はハイチに行こうと思ってたが、金がないので断念。東南アジアに目を向ける。東南アジアといえば、ミャンマーに行きたいと思うが少々高い。そこでN氏がこの前行ってたタイやらカンボジアやらを見て回る。 すると、発見してしまった。バンコク行き2万5千円。福岡より安い。 秋はタイに行ってきます。 ...
失格
報告会と引継ぎ以外に、団体にコミットするのをやめた。そう決めたとき、気持ちが軽くなった。 「イスパレが好き」「組織化していい団体にしたい」 そう言われる度の頑張ろうと思った。 でもそれは口だけで、多くのメンバーが自分からは動かない。そのことに危機感も感じない。 そしてその度に一喜一憂することにも疲れた。 私は孤独に耐えられる程強くはなかった。1人で突っ走っていくことに悲しさを覚えてしまった。支えてくれる仲間が欲しかった。団体に対する本当に意味での「思い入れ」の差が悲しかった(考えてみれば当然なんだけれど)。 所謂「リーダー」なら、それでも笑顔でメンバーを引っ張ってくべき...
...1つの恋の終わりに
一ヶ月ほど前の話を今更ながら。 大学に入った頃にようやく人生が上手くいきはじめて、こんなに生きることが楽しいと思えることはなかった。でも、そんな中でようやく気付いた自分の中の欠落感。 冬頃から付き合ってた女性がいた。 でも夏頃から上手くいかなくなってきてた。 私は日々団体の仕事に追われながらも、自分の中の「欠落したもの」を取り戻すことで頭がいっぱいだった。でも彼女は何も分かってなかった。いや、少なくとも私はそう思ってた。 そしていつのまにか、連絡を避けるようになってた。 そんなときメールがきた。 「直接言えよって話なんだけど、電話だと言いたいこと何も言えなくなるから。 ゆうすけにすごいパワーが...
...ヨハン・ガルトゥング先生との懇談
先週木曜日、あの世界的な大学者であり平和学の父とも呼ばれるヨハン・ガルトゥング先生と飲み会をした。私が九州大学で行なった学会での講演を通じて知り合った、某大学の教授からのご紹介だ。 国際関係論の授業で習ったことがある程度の知識しかなかったので、その二日前には本屋で著書を買い込む。行きの電車で焦って読む。 ガルトゥング先生は奥様(日本人!)と共に世界を回られている途中であった。日本には毎年春と秋、気候が良いときにいらっしゃるらしい。世界中にある先生の研究所の研究内容や日本外交の問題点などについてご講義いただく。学者の方々と早稲田の学生のA氏の合計7名ほどがその酒の席にいたのだが、ガルトゥ...
...夏会議の総括(ニュースレター用原稿)
会議が終わって一ヶ月の時間が流れた今、あの時間が私にとって何だったのか考えてみる。12月に会議の準備を始めた時日本人のメンバーは3人、資金のあてもほとんどなく、幾度となく中止案も出た。それから8ヶ月の月日の中で、徐々にメンバーを増やし資金も調達し、なんとか開催にこぎつけることができた。その苦労ゆえ、イスラエル人・パレスチナ人が無事来日した時の感慨は一入であった。 メンバー不足のため本格的なプログラム作りに取り組めたのが6月に入ってからということもあり、会議期間中はその準備不足を幾度となく露呈してしまった。代表という観点から見れば、私の仕事には失敗ばかりが目につく。サポートしてくださった...
...「公共性」とは
ここ数年「公共性」について何かと問題となる。本来それは「人々の意見を聞き取る場所」「人々が議論する開かれた場所」のことだ。それがハンナ・アーレントやハーバマスが議論の対象としてきた「公共性」である。 ところがナショナリズムを巡る議論の中で、某小林氏などが使う「公共性」とは正反対の意味である。「公共」とは国家を意味してるわけではないし何かを勘違いしてるのかなんだかわからないけど、彼らが意味してるような「一つの方向のために意見・行動を集約する」というような意味ではない。 先週の社会学の授業で同内容が出てきた時は、なかなか興奮した。しかも来週の授業では「国民国家」についてやるらしいんだが...
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