夏が終わった。同時に日本にイスラエル人とパレスチナ人を招いて会議を行った一ヶ月という時間も終わった。
日本人のメンバーに対しては責任感の不足に怒ってばかりの毎日だったし、イスラエル人・パレスチナ人とは時にケンカをして時にケンカの仲裁をするという、本当に忙しい毎日だった。体重も5キロ痩せた。
けれども、今振り返ってみると十分すぎた毎日だった。それはパレスチナ人のヌラとイスラエル人のアビゲイルが互いの別れを惜しんで泣いているとき、35歳のパレスチナ人イスマイリが目を真っ赤にして泣いていたとき感じたことだ。
イスラエル人とパレスチナ人が互いの別れを惜しんで泣いたということ、お互いの共同生活を思い出して泣いたということ、それだけで十分なのかもしれないと。
イスラエル人とパレスチナ人が互いの別れを惜しんで泣いたということ、お互いの共同生活を思い出して泣いたということ、それだけで十分なのかもしれないと。
会議中に様々な問題が発生するたびに、僕はこの会議には何の意味があるのか悩んでいた。でも今は違う。
たとえこの活動が中東和平に結びつくわけではないとしても、それでもこの会議には「意味があった」と今なら胸を張って言える。1人1人の人間を変えたあの一ヶ月間は、何物にも変え難いものだと確信している。
そして今はイギリスに留学に行ったE嬢への感謝。メンバー不足のため、冬までは僕とE嬢の二人だけで夏の会議を開催するために奔走していた。毎晩お互い励ましあいながら、書類作りに勤しんだ。
あの頃二人で夢見た夏は、日本人25名、イスラエル人・パレスチナ人12名に大きなものを残した。
僕達の試みは、様々な方々の協力を元に成り立っているにもかかわらず、同時に関係諸団体に多大なご迷惑をおかけしたことも事実だ。また、イスラエル人・パレスチナ人との間に対話の機会を創出するという目標とともに掲げている、「日本社会への発信」という目標に対しては広報等の遅れにより不十分な結果に終わった。
ここからがスタートだ。