僕には、一般的に「母」と呼ぶべきであろう人が三人いる。お世辞でも「恵まれている」とは言えない少年時代をすごした帰結である。今日は二番目の母、現在も戸籍上は「母」となっている人物について、ほんの少しだけ書いてみる。
考えてみると、僕は自分の家族について多くを語ることを拒否してきた。まだ自分の中で受け止める土壌ができてなかったからだ。けれども、これから少しずつ受け入れていかねばならないのかもしれない。もうそうしてもいい時期だ。
二番目の母と出会ったのは僕が高校一年生の夏であった。父の再婚相手として知り合った。そしてそれから僕が高校を卒業するまで共に過した。
僕はこの母を嫌っていた。嫌うなんて言葉じゃ形容しきれない思いだった。理由はブログという不特定多数の人間が閲覧する性質上書くことができないが、僕は自分の運命を嘆いた。そこから僕は生きる気力を失ったのかもしれない。家に僕の居場所はなかった。
一ヶ月前ほどのことだったか、その母が二年後の生存率が10%であることを、この母と別居している父から聞いた。この母は僕と出会う前にとある病気を発症し、手術後もタバコを長い間やめられないでいたし、タバコ嫌いの僕はそこも嫌だった。けれども考える。幼い子ども、戸籍上の僕の弟、妹を残して死んでいくこの母に対して、僕は何をすべきなのだろうか。いつも絶望の淵に立たされるのは、力を持たない弱く幼き者たちなのだ。
一度、あの家に帰ってみようと思う。もうそろそろ過去と決着をつけて、未来を見据える時期なのかもしれない。光の見えない絶望のトンネルの先にあるはずの、その未来を。